古い日本語、新しい日本語
こんにちは、大阪府寝屋川市香里園のあおぞら歯科クリニックです。
最近、「どや顔」という言葉を結構聞きます。
得意顔、といった意味合いで用いますが、誰が言い始めたのかな?
個人的には「ドヤ(街)」が頭をよぎるので、あまり上品な響きではないのですが。
ちなみにドヤ街とは簡易宿舎が立ち並ぶ地域のことです。
宿(やど)を「人が住むところではない」と自嘲的に逆さまに読んだのが始まりとか。
日本語というものは、日本の歴史とともに少しずつ変化して、現在に至ります。
千年前の大ヒット小説が源氏物語であることを思えば、
その変化もわかろうというものです。
源氏物語ともなれば大昔ですので、古典と身構えることで多少の免疫もつきますが、
百年そこらの前の言葉ともなると、認識違いをしてしまいがちです。
その中でもうっかりしがちなのは、旧暦と新暦の違いにまつわる言葉でしょうか。
明治期に変更になったこのふたつは、ざっと一か月のずれがあります。
たとえば七夕が秋の季語、と俳句の時間に習ったのはそのためですね。
ほかには「五月中に五月晴れ」を目指して果たせず、
結局今も迷走を続ける方がいらっしゃいますが、
五月晴れとはもともとは旧暦五月の晴れ間、
つまり新暦ではおおむね六月を指しますので
梅雨の合間の晴れた日のことを指す言葉でした。
もっとも、「五月」の「(情勢的に)大雨」から晴れた状態を目指す、という意味では
誤用とは言いにくい感もありますが。
明治以前の事項は原則旧暦で記載されていますので、
新暦の感覚ではぴんとこないこともしばしば。
たとえば本日、六月二日(天正十年。新暦では1582年6月21日)は
本能寺の変にて織田信長が死亡しましたが、
それに先立つ羽柴(のちの豊臣)秀吉の高松城水攻めは
梅雨を当てにした作戦だったわけです。
ほかにも関ヶ原の戦いは慶長五年九月十五日。
そう聞くと運動会の時期と近く、動きやすいと思いがちですが、
新暦である西暦だと1600年10月21日となるので、朝から戦うには結構寒いです。
実際にこのころに関ヶ原古戦場に行ったことがありますが、ちょっとつらかったです。
時がたてばさまざまなものが変化します。
できうることならそのときそのときの意味合いを大切にしたいものですね。
最近、「どや顔」という言葉を結構聞きます。
得意顔、といった意味合いで用いますが、誰が言い始めたのかな?
個人的には「ドヤ(街)」が頭をよぎるので、あまり上品な響きではないのですが。
ちなみにドヤ街とは簡易宿舎が立ち並ぶ地域のことです。
宿(やど)を「人が住むところではない」と自嘲的に逆さまに読んだのが始まりとか。
日本語というものは、日本の歴史とともに少しずつ変化して、現在に至ります。
千年前の大ヒット小説が源氏物語であることを思えば、
その変化もわかろうというものです。
源氏物語ともなれば大昔ですので、古典と身構えることで多少の免疫もつきますが、
百年そこらの前の言葉ともなると、認識違いをしてしまいがちです。
その中でもうっかりしがちなのは、旧暦と新暦の違いにまつわる言葉でしょうか。
明治期に変更になったこのふたつは、ざっと一か月のずれがあります。
たとえば七夕が秋の季語、と俳句の時間に習ったのはそのためですね。
ほかには「五月中に五月晴れ」を目指して果たせず、
結局今も迷走を続ける方がいらっしゃいますが、
五月晴れとはもともとは旧暦五月の晴れ間、
つまり新暦ではおおむね六月を指しますので
梅雨の合間の晴れた日のことを指す言葉でした。
もっとも、「五月」の「(情勢的に)大雨」から晴れた状態を目指す、という意味では
誤用とは言いにくい感もありますが。
明治以前の事項は原則旧暦で記載されていますので、
新暦の感覚ではぴんとこないこともしばしば。
たとえば本日、六月二日(天正十年。新暦では1582年6月21日)は
本能寺の変にて織田信長が死亡しましたが、
それに先立つ羽柴(のちの豊臣)秀吉の高松城水攻めは
梅雨を当てにした作戦だったわけです。
ほかにも関ヶ原の戦いは慶長五年九月十五日。
そう聞くと運動会の時期と近く、動きやすいと思いがちですが、
新暦である西暦だと1600年10月21日となるので、朝から戦うには結構寒いです。
実際にこのころに関ヶ原古戦場に行ったことがありますが、ちょっとつらかったです。
時がたてばさまざまなものが変化します。
できうることならそのときそのときの意味合いを大切にしたいものですね。
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